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「たられば」を考えて気づかされる、自分の小ささ

【「たられば」を考えて気づかされる、自分の小ささ】

人生はたった1秒の出来事で180℃変わることがある。あの時のあれがこうなっていれば・・・なんて幻想を考え出すと、湯水が湧いて出てくるように留まることがない。それでも、自分でもはっきり覚えているターニングポイントというものがいくつかあるものだろう。

ぼくの「たられば」を1つ話すとしよう。それは利き手である左手首の骨折である。小学校5年生だった。ふだんのように友達たちと遊んでいて、ささいな小競り合いで起こった出来事。きっとぼくが余計なことを言ったことで起きた出来事だったんだと思う。その手首は、未だに右手首よりも可動域は狭く、曲がり方も若干おかしく、季節の変わり目には違和感を覚える。

たぶんこの左手首骨折の出来事は、ぼくの人生を大きく変えた出来事だった。もっとも影響したものが、ぼくの人生そのものだったバスケットボールライフ。小学校・中学・高校・大学と続けてきたバスケットボール。この出来事がなければ、もう少しシュートがうまかったかもしれない。もう少しドリブルがうまかったかもしれない。なんてことも想像できる。この出来事の前と後では明らかに自分の中での感覚がはっきりとちがうものだった。でも一方で、その時もっともっと右手の練習をしていれば、利き手でない右手でも左手と同じくらいボールを操れたかもしれない。そうなれば、もっとバスケットボールプレーヤーとして生きる道は広がったかもしれない。それこそドリブルがもっともっとうまかったかもしれない。けっきょくは起こった出来事に対しての対処の仕方、自分の人生を好転させる方法を心得ておらず、自分に対してとことん甘かったと感じずにはいられない。

そんな「たられば」を考え出すと、こんな幻想にキリはなく、そしてまた、なんの意味もない。でも、左手首を見るたびに自分のバスケットボール人生が毎日のようにフラッシュバックする。自分でもわかっているが、バスケットボール人生でやりきれていない心残りが多少なりともあるんだろう。もっともっと努力していればよかった。ちがうな、「努力の仕方」を知っていればよかった、そのためにもっともっと学ぶ姿勢で人に聞いておけばよかった。上を目指すために必要な心意気が足りていなかったのかな。向上心が欠けていた。そう考えると、この出来事は、「たられば」であったとしても、本当は全然小さな出来事の1つなんだと気づかされる。

結論では、けっきょくその出来事が自分の人生を変えたなんてことはない。その起こった出来事に対しての向き合い方が自分の人生を変えたかもしれないということだ。けっきょく言い訳に過ぎない。だからこんなことを考えること自体、意味のないことなのかもしれない。でも、ぼくはこんなことを考えながら、そこから教訓を得て、毎日学びある生活がいまできていると思う。過去を振り返ることもいいこと、そこから前に進んでいけばいい。後悔したり、当時のことを嘆くのではなく、その出来事をヒントに次なる一歩を踏み出すステップと踏まえればいい。そう、少しずつ、前に進んでいけばいい。振り返ったとしても、後ずさりせず、「よしッ!」とまた強い気持ちをもって。

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Comments 2

Junya  

いい文章だね。

2015/08/21 (Fri) 12:04 | EDIT | REPLY |   

宇田 大樹(Hiroki Uda)  

Re: タイトルなし

Junyaさん

ありがとうございます(^^

> いい文章だね。

2015/08/22 (Sat) 17:15 | EDIT | REPLY |   

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