9月27日 待ちぼうけ。現代と過去。喜怒哀楽の振幅。

Sep 27。

ひとり擬似体験ゲーム。2時間と30分くらいだろうか、別に待ち合わせしていたわけじゃないが、ひとりで勝手に待ちぼうけしてみた。最初のうちはワクワクする。ここは1本道、ずっとずっと向こうに姿が見えたら、どんなふうに対面しようか。途中からいろんな感情が沸き起こってくる。たぶん本当に待ち合わせをしていたら、不安や焦りが一番大きくなるんだろう。最後は座っていたお尻がカチカチに痛くなって帰る。10歩歩くごとに「もしかして・・・」とほんの少しの期待とともに振り返りながら・・・。

携帯電話が普及する前、そのもっともっと前もそうだけど、「ひとと約束して会う」という行為は、とてつもなく愛おしく、尊いものだったのかななんて想像してみる。今日は時計も携帯も持たずにひとを勝手に待ってみた。(あッそもそも携帯は持っていない。笑)太陽の角度や肌で感じる温度で、自分がどれくらいの時間を過ごしたかを感じていた。あとで時間を確認した時には、自分が想像していた以上に時間は短かったという気持ちと、自分が想像していた以上に時間は長かったという両極端な相反する気持ちが存在した。

ふと考えてみると、ぼくらの世代が物心ついた頃には、待ちぼうけなんてことはなくなっていた。「いまどのへん?」「あと何分くらい」「先に店入ってて」「ごめん、行かれんくなった」ボタン一つで、着信一つで、事が済んでしまう時代。今日のような気持ちはなかなか感じることなんてできないだろう。こんなことを考えていると、昔のひとたちの方が心豊かだったのかな。意味するところは、喜怒哀楽の振り幅が大きく、それでいて、今よりもその喜怒哀楽を感じる場面が断然多く存在したんじゃないかなってこと。昔の時代に待ちぼうけをして、最後の最後に相手が現れたなら、抱きついて泣いてしまうほど嬉しかったんじゃないかな。現代のように、「ごめん、今日無理になった」というLINEを読んで帰る寂しさよりも、待てど暮らせど相手が来ない、「なにかあったのかな」と不安を感じながら帰路につくのとでは、中身からして、雲泥の差がある。それが武士の時代であったり、戦争時なら特に。そうとは限らないか、昭和でもそうだろう。そんな1つ1つの出来事、一瞬一瞬の感情が、とてつもなく大きくて、ひとの心を強くしていたのかななんて。いまでも携帯電話を持たなければ、そういった感覚は味わえるのかなと、今日少し考えていた。

勝手にひとを待つという、なんとも理解しがたい行動ができるのも、いまの時間があるから。ぼくなりに意味のある時間を過ごすことができた。

逃げると思って、いつもの凶暴な鳥に石投げたら、突進してきた。
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