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6月14日 孫が見たいってのは、孫を育てる自分の子どもの姿が見たいってことなんちゃうかな?英語環境っていうのは、自分自身への挑戦ができる場所。

Jun 14。

あれは大学何回生の頃やったんやろうかな。いつもお母さんと訪れていたおばあちゃんちに、ふと、ひとりで行ってみた。短歌やコーラスに忙しいおばあちゃんやから出かけてたら仕方ないかなって気持ちでドアを叩く。「ヒロくんどないしたん?!」の驚きの表情のあとには、本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれた。そして、ぼくの母、おばあちゃんの娘にさっそく電話をしていたのを鮮明に情景丸ごと覚えている。ぼくのお父さんは60歳を超え、お母さんももうすぐ60歳という節目に届こうとしている。孫が見たいっていうことを言われてたことはないけれど、間違いなく望んでいることだとわかっている。もうすぐ29歳になるぼくは、まだ結婚とか孫とかってことになんのイメージも持つことができない。ただひとつ思うことは、「子どもを授かり、子どもを育てている自分の姿を親に見せたい」って気持ちは強く強く持っている。もしかしたら親もそうなのかもしれない。「孫が見たい」のではなく、「自分の子が赤ん坊を育てる姿を見たい」ってのが本質なのかもしれない。なんとなくそう感じる。お父さんとお母さんに「ぼくは赤ん坊を育てられる・育てようとしているところまで成長しました」ってのが恩返しだったり、お互いの幸せなのかなーとか。そんなことを考えたのは、Helpxホストマザーとファザーの両お母さんと出会って少し話をしたから。思い出したのと、自分の気持ちがわかったのと。これもまたタイミング。勉強。

英語環境っていうのは、ただ単に英語だけに利点を持てる環境ではなくて、自分自身を試すことができる非常に有意義な環境だって感じている。5月の1か月間はフランス人のアイリスと旅をした。旅中に出会って話したのは、ニュージーランド・オーストラリア・ラトビア・オーストリア・イタリア・ドイツ・フランス・タヒチ・イングランド・スウェーデン・オランダ・中国・韓国・・・などの出身の人たちばかりだった。それから今現在はニュージーランド出身の4人家族の家にお世話になっている。当然英語しか使わないわけで、1歳と3歳の子どもたちに僕が英語が使える使えないとか、日本語が話せるとかっていう概念はない。

僕は未だに自分の英語の上達のなさが歯がゆいし、恥ずかしくて戸惑うことがある。特に躊躇してしまう場面は、こっちから質問してもそれに対する返事が理解できないのではないか?ってとこ。相手は僕が質問をするから答えてくれているのに、そこにハテナがついてしまうとなんかすげー微妙なんじゃないかなーって思ってしまう。ここで自分ご試される。言おうか言おまいかのせめぎ合いが頭の中で起こる。今まで幾度となくここで逃げてきていた。でも最近はこの躊躇する時間が短くなってきているのがわかるし、思いきって話しかけることができるようになってきている自分に気づいている。バンジージャンプのおかげか?あれ飛べたんやからそれくらいできるやろ?ってことではないけれど、やっぱり毎日がチャレンジであり、少しでも成長し続けたいって意欲が自分を駆り立てているんだと。臆病な自分と向き合い、少しずつでも打ち勝つ努力を続けていくことが、自分を変えていける唯一の道。

少しだらけていたというか、曇っていた視界がまた、綺麗に晴れて広がってきている。なんでもそう。環境の中に埋もれすぎている時は、自分を見失ったり、周りが冷静に見えなくなっていたりする。でも、そこでいったん大きな深呼吸をして、心の声をしっかり聞けば、自分がやるべきこと・求めているものはまたしっかりと見えてくる。日々勉強。日々努力。続けていこう。

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綺麗ですね、

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Lake Dunstan.

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何も見えない、

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Moke Lake.

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くらい。

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誰もいない。

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くらい。

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綺麗ですね、

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Lake Wakatipu.

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今日も1日ありがとう。これらは昨日の写真です。

明日はパッキングDay。
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