3月8日 エッセイ「おばあちゃん」を書きました。

Mar 8。

「おばあちゃん」

小説を読む。ときどき、小説を読みたくなくなる時がある。でもその瞬間は、もっと小説を読みたくなる感情も同じくらいある。矛盾しているけれど、泣けるほど切なく、春のような暖かさを響かせてくれる。それは”おばあちゃんを思い出す”からである。最近読んでいる小説には、おばあちゃんがよく登場する。この”おばあちゃん”という言葉が、ぼくに無限の思い出を蘇らせる。

おばあちゃんに会いたいな。

おばあちゃんが亡くなった時、ぼくは長野県へスノーボードをしに遊びに行っていた。今でもお父さんからかかってきた電話を忘れることはできない。言葉が出ない。動揺を隠せない。信じられないとか信じたくないとかじゃなくて、その言葉の持っている意味がわからない。震えるほど涙し、その溢れてくるものの止め方がわからない。あんなに優しくて、可愛くて、綺麗な笑顔が一瞬でこの世から去っていった時の儚さを、ぼくは一生忘れることはない。昨日まであんなに元気だったのに。

おばあちゃんの家へ遊びにいった時、みんなの座る位置は決まっていた。ぼくが物心つく前から同じカップで注がれるコーヒー。幼心にお父さんがブラックを啜る姿がすごいカッコいいなっていつも思っていた。テレビを見たいのに、おばあちゃんとお母さんの会話がうるさくて音が聞こえないから、すぐにリビングへ移動していた。学年が上がるにつれ、その場に一緒にいることが楽しくなった。高校時代にはひとりでおばあちゃんちに出かけるようになった。初めてひとりで訪れた時には、おばあちゃんはお母さんに「ひろくんがひとりで来たよ」って嬉しそうに電話していたことを忘れるはずがない。毎年の正月はいとこも一緒におばあちゃんちへ。中央公園、凧揚げ、初詣、お寿司はいつもぼくだけわさび抜き、ピザカリフォルニアの注文は決まってジャーマンスペシャルだった。何一つ忘れることのない思い出。思い出というよりも、もうそれは僕の一部であって、僕を作り上げてきたものであって・・・。あぁ、またこうやって回想している間にも、やっぱり涙は出てくるんだな。面白いもので、僕が好きになっていまたくさん関わっているスノボとコーヒーがちゃんとそこに結びついているっていうこの奇跡。

おばあちゃんに会いたいな。

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まるでイケてないパス写真。

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選挙ポスターの悪ふざけのような線。

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