3月23日 股間ニギニギ事件のこぼれ話。地元の評判を知っているか?。ベネズエラ・カラカス、気分の晴れない文章ばかりですみません。
Mar 23。
昨日の警官による股間ニギニギ事件のこぼれ話として、ぼくはUSドルを実は持っていた。しかも200ドルも。いま重宝している必殺ブラックショートパンツには、とっても優れた隠し場所がある。まったくバレる要素がない。なんなら飛行機のチェックゲートさえバレずに楽々クリアできてしまうほど。必要なときに必要なものがある。写真撮ったところでわからんけど、またおいおい載せることにする。とうとう息切れしてしまったか、最終日、ベネズエラ・カラカスはいったん卒業。ホストのアントニオも疲れているだろう。妥当かどうかわからないお金は、いろいろ面倒見てくれた感謝の気持ちと勉強代として。
夕方、小さなオーケストラのコンサートを観に行った。アントニオの友達に会った。「日本は最高だよ、中国はダメだ、でも日本は世界でいちばんだよ!六本木、新宿、物価が高いけどでもとってもいいところだね」と。嬉しい。確かに嬉しいと感じる自分もいるんだけれど、いまはこれに対しての表現方法がわからない。そういう是非という感覚、なにかが完全に壊れている。失っている。たじろいでしまうだけで終わってしまった。日本の評判をネットで調べることはない。大阪のウワサを調べることもない。それと同じように、カラカスのひともそんなこと調べるわけがない。またいろんなことが頭の中を錯綜している。
少しずつ居心地のわるさを感じてきている。慣れとかストレスとかいろんなことが、ようやく身体に沁みてきて、ぼくの前向きなフィルターだけを通ってはくれないベネズエラ、カラカスというものが見えてきた。そして、そこにはお金や思惑が絡んでくる。善意だけで、ひとの親切だけで、世界を築くことがなぜできないのだろうか。世界平和にならない政治を、政治と呼ばない。ベネズエラだけじゃなく、アメリカも日本も同じだ。平穏や幸福を感じられる数が増えないなら、意味なんてないのだ。破壊される。マイナスな要素ばかりで、少しもオモシロイものを頭は受け付けてはくれない。明日には変わるのだろうか。
カラカス、今日はまた別のエリアを歩いた。プロセレス大通り、夕方から夜にかけてたくさんのひとで賑わっていた。子どももたくさん遊んでいた。30年前、20年前、10年前のここは、全く別の雰囲気だったのだろうか。歴史は動く。時代は変わる。ここだけの話ではない。知り合ったベネズエラ人、外国の仲間、もっと言えば同じ日本人の友達。ずっと旅を続けているぼくを「お金がある」という目で見てくる。そんなわけあるはずがない。いつだってギリギリだ。日本から旅行に来ているひとや最近旅を始めたひとの方が持っている可能性だってあるだろう。お金、お金、お金、どうでもいいんだよ、そんなもの。
ここへ来てからというもの、読み手にとって気持ちのいい文章がなくて大変申し訳ない。ここを明日離れる。そうなれば、少しは心境の変化があるかもしれない。それまでもう少し一緒に戦ってもらえると嬉しい。すごく苦しい。現実に息苦しい。でも、背けられない。このやり場のない気持ちを飲み込むことで、精一杯受け止めないといけない。長らくマスターベーションもしていない。その快楽を考える余裕するなかった。トリニダード・トバゴはどんな場所だろうか。英語に少し癒され、町に癒され、海に癒されるのだろうか。はたまた、どんな気持ちに僕はさせられるのだろうか。なんにせよ、カラカスが終わるんだ。

お金。

ベネズエラで一番有名な絵らしい。

最終日の昼飯は豪華に。

おそらく最後の写真。

衣類のメルカドらしいが。

左がパルケセントラル。

高架下。

ひとだらけ。

行進してた。

演奏中。

まだまだ演奏。

真ん中にデビッドタワー。

プロセレス大通り。

の噴水。

プロセレス広場。

モニュメント。

また別のモニュメント。

暗くなってきた。

もっと賑わってたらしいが。
明日は愉快なブログになるかな。
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昨日の警官による股間ニギニギ事件のこぼれ話として、ぼくはUSドルを実は持っていた。しかも200ドルも。いま重宝している必殺ブラックショートパンツには、とっても優れた隠し場所がある。まったくバレる要素がない。なんなら飛行機のチェックゲートさえバレずに楽々クリアできてしまうほど。必要なときに必要なものがある。写真撮ったところでわからんけど、またおいおい載せることにする。とうとう息切れしてしまったか、最終日、ベネズエラ・カラカスはいったん卒業。ホストのアントニオも疲れているだろう。妥当かどうかわからないお金は、いろいろ面倒見てくれた感謝の気持ちと勉強代として。
夕方、小さなオーケストラのコンサートを観に行った。アントニオの友達に会った。「日本は最高だよ、中国はダメだ、でも日本は世界でいちばんだよ!六本木、新宿、物価が高いけどでもとってもいいところだね」と。嬉しい。確かに嬉しいと感じる自分もいるんだけれど、いまはこれに対しての表現方法がわからない。そういう是非という感覚、なにかが完全に壊れている。失っている。たじろいでしまうだけで終わってしまった。日本の評判をネットで調べることはない。大阪のウワサを調べることもない。それと同じように、カラカスのひともそんなこと調べるわけがない。またいろんなことが頭の中を錯綜している。
少しずつ居心地のわるさを感じてきている。慣れとかストレスとかいろんなことが、ようやく身体に沁みてきて、ぼくの前向きなフィルターだけを通ってはくれないベネズエラ、カラカスというものが見えてきた。そして、そこにはお金や思惑が絡んでくる。善意だけで、ひとの親切だけで、世界を築くことがなぜできないのだろうか。世界平和にならない政治を、政治と呼ばない。ベネズエラだけじゃなく、アメリカも日本も同じだ。平穏や幸福を感じられる数が増えないなら、意味なんてないのだ。破壊される。マイナスな要素ばかりで、少しもオモシロイものを頭は受け付けてはくれない。明日には変わるのだろうか。
カラカス、今日はまた別のエリアを歩いた。プロセレス大通り、夕方から夜にかけてたくさんのひとで賑わっていた。子どももたくさん遊んでいた。30年前、20年前、10年前のここは、全く別の雰囲気だったのだろうか。歴史は動く。時代は変わる。ここだけの話ではない。知り合ったベネズエラ人、外国の仲間、もっと言えば同じ日本人の友達。ずっと旅を続けているぼくを「お金がある」という目で見てくる。そんなわけあるはずがない。いつだってギリギリだ。日本から旅行に来ているひとや最近旅を始めたひとの方が持っている可能性だってあるだろう。お金、お金、お金、どうでもいいんだよ、そんなもの。
ここへ来てからというもの、読み手にとって気持ちのいい文章がなくて大変申し訳ない。ここを明日離れる。そうなれば、少しは心境の変化があるかもしれない。それまでもう少し一緒に戦ってもらえると嬉しい。すごく苦しい。現実に息苦しい。でも、背けられない。このやり場のない気持ちを飲み込むことで、精一杯受け止めないといけない。長らくマスターベーションもしていない。その快楽を考える余裕するなかった。トリニダード・トバゴはどんな場所だろうか。英語に少し癒され、町に癒され、海に癒されるのだろうか。はたまた、どんな気持ちに僕はさせられるのだろうか。なんにせよ、カラカスが終わるんだ。

お金。

ベネズエラで一番有名な絵らしい。

最終日の昼飯は豪華に。

おそらく最後の写真。

衣類のメルカドらしいが。

左がパルケセントラル。

高架下。

ひとだらけ。

行進してた。

演奏中。

まだまだ演奏。

真ん中にデビッドタワー。

プロセレス大通り。

の噴水。

プロセレス広場。

モニュメント。

また別のモニュメント。

暗くなってきた。

もっと賑わってたらしいが。
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