1月2日 指針になるような、こんな時あの人ならどうする?ってひと。苦しみながら生きることの天才はぼくだと思う。

Jan 2。

今日1日なにをしてたか思い出されへんほどなんにもしてない。残りもん食っただけで買い物もしていないから、ちゃんとお腹は減っている。午前中またダラダラと寝ていた。なんか発奮材料はないかと調べごとをしてみても、なんか今の自分にはしっくりこないものばかりが検索にヒットしてしまう。この前「尊敬するひとはいるのか?」と質問をいただいた。いろんな尊敬の仕方があると思う。当然尊敬するひとはいる。でも行動の指針になるようなひとは、もしかしたらいないのかもしれない。この時あの人ならどうする?のあの人は思い浮かんではこない。とある友達に聞かれた。

ぼくのように海外を転々と淡々とふつうに生活をしながら生きてきた、モデルケースのようなひとはいるのだろうか。自分が特別だと言っているわけではない。ぼくが言いたいのは、ここから道を開いてくれたいろいろなひとはいるのかということ。こんな生き方があるんだ、こんなふうに人生を作っていけるんだっていうひとはいるのだろうか。非凡ではない自分が、そこを抜け出せる瞬間ってどんな時に訪れるのだろう。そんな日が来ることって、生きているうちにあったりするのか。蓋をしなかったから、全く味も香りもないコメが炊き上がった。おかずがない。そのまま食べた。

2018年を振り返って、2019年の目標を書き込んだSNSの投稿。無味乾燥に見えてしまう。それが当たり前のように、当たり前にしてしまうことがぼくには怖い。そして、そこにはもう意味なんて乗っかっていないことを知ってしまっている。どう生きることが正解なのだろうと、最近この悩みに侵され続けている。答えなんてなくても、考えずにいられない。苦しみながら生きていくことが人生なのだとしたら、ぼくは人生を全うしているひとということか。家の裏にこんなでっかいスーパーマーケットがあるなんて知らなかった。小学校があった。新しい地下鉄の駅ができるようだ。

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夕方の自分はこんなでした。

明日からまた仕事がんばろ。
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