3月31日 ロンドンから想ふ、考察を残しておきたいコロナウィルスへの見解(今のところ)。

Mar 31。

世界的にずっとニュースを騒がせているこの問題。今日は何人の感染者・死者が増加、という文言を毎日チェックすることがどうやら世間の日課のようになっている。世界77億人すべてに影響を与えるものではないとぼくは考えている。地球が呼吸している。CO2、石油・石炭、埋め立て、森林伐採、大気・水質など環境汚染、ゴミ、化学兵器、IT・・・自然破壊、ありとあらゆる不純物に地球は耐えることができなくなっているのではないか。世界的に見て、人口が増えすぎている。土地や自然という地球の限度を超えてしまうほど、人間が増えてしまっているのではないか。その回復のためではないか。治癒するために必要な手段なのではないか、と考えたりもしている。

有名人が、ニュースキャスターが、政治家が同じことばかりを口を揃えて言う。家にいろと。自分だけのためじゃなく、他人のことを考えようと。手を洗いましょうと。政治家やニュースキャスターがそれを伝える場に、一体どれだけのひとが集まっていると思っているんだ。有名人は楽しいだろう、自分が発言することでより注目を浴び、同じことを言っておけばそれで善人のようになるのだから。広告料のように、彼らはそれでも稼げる場を設けることができるのだから。一般市民のことを彼らはいつもいつまでもなにも、知らない。自撮りをして伝えるのではなく、ディレクターからカメラマンからなにからを携えて報道しているその光景を、滑稽だとは思わないのだろうか。矛盾という言葉の教科書に、載せてあげたいくらいだ。

ぼくは今ロンドンのカフェで働いている。イギリスの方針で、休止中も80%の給料は補償してくれるとのことだ。幸いなことに、ぼくはクビを切られたわけではなくまだ所属させていただいていて、心配するなとマネージャーから連絡をいただいた。でも世界中多くの方が職を失い、明日への希望を必死に探す毎日なのではないだろうか。病原菌1つのために、永遠と家に閉じこもっていることが正解とはどうしても思わない。自分の身に起こってないから言うのではない。ぼくも感染病かなにか、もしくは交通事故、それによって幾度か死ぬかもしれないと思った経験がある。そして去年、父親が若くして癌に犯されて亡くなった。死はいつも生と隣り合わせ。死ぬことなんて、怖くない。僕らはただ有難いことに生かされているのだ。

死ぬときは死ぬ。病気にかかるときはかかる。そういう運命だということ。苦しい、耐えれるかどうかも寿命や運命だということ。いろんな裏があるはず。きっと自然発生ではなく、化学兵器のように人為的につくられたモノだ。ロックダウンが最善策とはどうも思えない。現時点で感染者は77億人のうちの75万人、0.009%に驚愕して家に閉じこもってしまうのか。死者3万6千人。0.0004%の可能性は、普段生きていてそれほど毎日脅威に感じるべき数字なのだろうか。物事の本質はどこにある。もう1週間以上、ぼくも当然のように一歩も外に出ていない。いくら筋トレをしても、体力は落ち、食べた分の余計な脂肪は蓄積されていくだろう。次の1週間も外出の予定はない。これが最善だと世間が言うのであれば、それに反抗する理由もない。

でも全く納得はしていない。確率や可能性の問題をもっと客観的に捉えたい。自分が乗っている飛行機が墜落する確率、交通事故に遭う確率、癌になる確率、病気だけではないがおそらくそんなものの普段の生活の確率とどれだけの差異があって、それらを普段どんなふうに考えて生きているのだろうかということ。小学校の頃、地元の公園にたまに変質者がでた。学校のホームルームで気をつけるようにと注意がなされた。そのニュースをテレビやマスコミが大々的に取り上げれば、世界的なニュースに発展する可能性もあるんじゃないかと思ってしまう。あるいはそうかもしれない。なぜなら#metooではないが、面白くもなんともない流行みたいなものが世界のどこかで生まれ、あっちにも出た、こっちにも出た、もしかしたら同じ変質者かもしれないというような憶測ばかりが飛び交い、やがてロックダウンまで広がったかもしれない。

決して同じ問題とは言わない。ただ恐れているだけでは解決とは呼べないのではないか。また新しいインフルエンザがやってきて、コロナウイルスがやってくる。当然の周期のようにまたやってくる。これ以上の防ぎようはない。ひとはいつか死ぬ。自分も含めて。料理中に何かの拍子で包丁が喉に突き刺されば、もうそれで死ぬ。それくらい儚いものだ。全世界でまるでこの騒ぎを楽しんでいるようにも見えてくる。それも政治家を含め、もっともっと世界を操っているひとたちが。あるいは地球が怒っている。ええ加減にしろと。人類はそう遠くないうちに滅びる。恐竜なんかよりももっともっと短い期間で。自然に対して人工。自分らで破壊しているのだから当然だ。


環境に優しく生きようとするひと、エシカル・サスティナブル・ベジタリアン・ヴィーガン・ミニマル・エコロジカル、そんなひとが増えてくるのは自然の流れではないか。そうやって少しでも考えるひとたちが増えることで、地球に謝罪をし続けるしか、もはや方法はないのではないか。指の中だけで生きるひとばかりが増えていく。目の前の瞬間よりも、画面の奥の空間が気になるひとばかりで溢れていく。どれだけ違和感を持っていても、ぼくもその世の中のカラクリに紛れ込んだ歯車のひとつでしかないと、回り続けるしかないと、そういうことなんだと思う。数学はそこまで得意じゃない。上記の%の数字があっているかわからない。でも今の数字では、30人のクラスメイトの誰ひとり、死ぬことはない。
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