4月25日 あんたが決断して海外いったんやからずべこべ言わずにそこにおらんかい。わがまま海外旅行者たちよ。

Apr 25。

外国に取り残されてしまった帰国希望の邦人何千名、チャーター便で・・・のようなニュースを見かける。おそらくだけれど、きっとその帰国を強く希望するひとたちは、コロナウイルス世界に蔓延し始めてもどこか他人事のようにゆったりと構えていたひとたちのはずだ。もっと自分の言葉や行動にひとりひとり責任を持とうよ。何でもかんでも口にしたらそれが通る時代になった。ぼくはギリギリに学校の先生に殴られても、こっちに非があると考える世代。今は先生は子どもの悪さに対してなにも教育できないのではないか。植木鉢を割って、近所のおばちゃんにしこたま怒られた。今はその鉢を割るほど外で遊ぶ子どももいない時代なのだろうが。

父親にはどつかれなかったが、とにかく父親が怖かった。そんなそぶりは見せなかったし、むしろかなり愛情を持って育てられていたが、それでも何か頼んだりするときには母親に頼った。兄とも小さい時は喧嘩も当然した。掴み合いもしたし、おもちゃで殴った記憶もある。あまりにわがまま言って泣くから玄関の外に閉め出されたこともある。そんな酸っぱい思い出が今の自分を作っていることもまたちゃんとわかっている。子どもの間にどんな育てられ方するかで、我慢、忍耐を学び、解放を学ぶ。耐えるから弾けられる。それはすなわち集中力や持続力にも影響するとぼくは考える。ぼくよりもっと大人たちが「昔は・・・」「おれらの時代は・・・」という意味がぼくにはわかる。

時代は変わる。でも人間としての本質は変わらない。それが変わるなら何千年も昔から伝わる宗教を信じることも矛盾することになるだろう。人としての在り方は、いつの時代も変わらない。説教できるほど自分は完成していない。でも今の若者の生き方が危険であることは、ぼくの目には明らかだ。地球が滅びる方向へ向かっていることを、この目で見ているかのように。大きい話だけれど、些細なところからそれが見えるというのは、それが真実だからだろう。どう生きるよ。これから。
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