大阪のたこ焼き屋のおっちゃんは、英語を話すことができるのか?

東南アジア旅でより強く思う...

日本に帰ったら、確かめてみたいことがある。
「日本の観光地のおっちゃん・おばちゃんは、英語を話すことができるんだろうか?」

今回の東南アジア旅を通じて、毎日のように湧いてきた疑問だ。大阪出身の自分の感覚で話すと、道頓堀界隈のたこ焼き屋のおっちゃんが「Hello,How are you?」な感じにはならない。そしてもし仮に、「Can I have ten pieces??」と言われてわかるんだろうか?あんぐりな表情しか浮かばない。バンコク、シェムリアップ、ホーチミン・・・3カ国の観光地と言われる地を巡ってきたわけだが、ほとんどのお店で英語が通じる。道行くひとはさすがに話せないひともいたが、それでも日本に比べて圧倒的多数だろう。フィリピンでもほとんどのひとと英語でコミュニケーションをとることができた。オーストラリアにいるときにはもちろん英語社会なのだが、イタリア人・フランス人は当たり前のように英語をペラペラと話すし、韓国人・中国人・台湾人でさえも何不自由なく英語を使いながら生活をしている。・・・日本人だけやで?

これには、日本人であることのありがたさと恥ずかしさの相反するものが、共存している。

まずは、日本人であることのありがたさ。日本という経済的にも豊かな島国では、英語が話せなくても何不自由なく暮らすことができる。Thank you !しか知らなくても年収1000万円越えて豪遊することだって可能だし、海外旅行に行けば、よっぽどの僻地でない限り「コンニチハ!」「サヨナラ!」と相手が話しかけてくれるし、日本語表記がある地だってたくさんある。それくらい世界的に日本は有名で、英語を話せなくてもなにも問題ない。これって本当にすごいことで、日本に生まれてよかったなってつくづく思わされる。

次は、その逆の恥ずかしさ。義務教育を受けてきたすべての日本人が経験してきたことだろう。中学高校(いまは小学校もかな)と毎日絶対に1回は時間割表に刻まれていた英語の授業。1日1時間、多い日に2時間、週8回の授業を月4週×10ヶ月くらいか。年間約300時間以上かけて5年も6年も勉強した結果がこれなのか。到底英語の勉強は中学校から始まっているなんて、外国人の友達に言えなかった。なぜなら、なんにも話せなかったから。これは本当に社会問題。カリキュラムの問題もそうだが、きっと学校や政府は気づいている。気づいていてなにも変えないんだから大したもんだ。殿様やな。ぼくは(ぼくだけじゃないだろう)日本の義務教育の詰め込み方式・受験終わったらスッカラカンな中身にも疑問たっぷりだが・・・。

いわゆる発展途上国と言われる国々のひとたちが、母国語と英語を自由に操り、世界有数の先進国である日本のひとたちが、道を聞かれても「アッ、アッ、アッ」とアタフタして終わっていく・・・。滑稽以外のなにものでもない。世の中にはどちらの意見もたくさん存在する。これからの時代は英語だ!って豪語する人もいれば、英語を勉強しなくていい!という書籍を出版する人もいる。どっちも正解。でも、2年強海外で生活している自分が感じた現実では、ひとたび島国から出たら肩身は狭く、恥じらいを持たざるをえない。

逆に言えば、日本人が英語をペラペラ話し、自信を持った時の海外へのインパクトは計り知れない。世界を圧巻するだろう。日本人がシャイと言われるのは、ただ英語でなんて答えればいいかわからなくて話せないだけだ。だから日本の教育が変わり、英語が少しでも話せるようになるだけで、もっともっとJAPANという国が世界へ影響を与えることができるようになるのにな。京都の湯豆腐屋・お茶屋の女将さんがキレーな英語を使って接客している姿を見せるだけで、それはそれは十分な気がする。

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